函館市議会 2022-06-09 06月09日-03号
なぜ廃止となったのか、その経緯、そして市史編さん室廃止後の業務の引継ぎはどのようになっているのか、お伺いいたします。 ◎総務部長(小山内千晴) 市史編さん室の廃止などについてのお尋ねでございます。
なぜ廃止となったのか、その経緯、そして市史編さん室廃止後の業務の引継ぎはどのようになっているのか、お伺いいたします。 ◎総務部長(小山内千晴) 市史編さん室の廃止などについてのお尋ねでございます。
それで、たまたま来年市制50年なので、市史を作るのではなくて、資料の収集を市がもっとやらなければいけないだろうということで、実は来年組織を市史編さん室ではなく市史資料室をつくって、今ご指摘のあった教育委員会ですべきことと、それ以外のことについては行政が直接やらざるを得ないということで、今学校関係に限らず、その他の歴史的な資料というものをやっぱり残しておく必要があると。
かつて町史から市史に変わる頃、私も議員在職中で、その頃は市史編さん室という担当職員まで置いてやった時代もありました。そういう面では随分時代もさま変わりしたのかということと、今生きる我々にとってはやっぱり現在生きる資料をきちっと残しておくというのは責任だと思のです。それと、もう一つは、市史をやるに当たっては2つあると思うのです。
○副委員長(燕昌克君) 村山委員、今の内容につきましては、市史編さん室の内容になるのかなということでございますので、内容を変えてお願いしたいと思います。 ◆委員(村山ゆかり君) 今、委員長のほうからございましたので、市史の行方については、また別の機会にしたいと思います。
まず、平成18年に、函館市史年表編の発行を最後に、市史編さん室が廃止をされました。地域に関する資料の収集は図書館業務に移行したと思いますが、現在資料の収集がどうなっているのか、お聞きいたします。 ◎教育委員会生涯学習部長(政田郁夫) 図書館の地域資料の収集についてのお尋ねでございます。
はこだて市史編さん室だよりでは、「汐首の橋脚付近にタコ部屋があり──戸井線だと思います──そのほとんどが朝鮮人労働者、食事も満足に与えられず、飯場から脱走して私の家に逃げてきて、母がおかゆを何杯も食べさせました。
大綱4点目、市史編さん室についてお聞きいたします。 合併後5年以上経過し、旧4町村地域では新たな情報も発掘されており、特に戸井地域におきましては、戸井町史は昭和48年の刊行であり、37年もの年月が経過し、37年間の情報が正確に管理されているのか不安があるものと思われます。
その1つは、函館市の市史編さん室の廃止についてでございます。 函館市史編さん室は、ことしの3月31日をもって廃止になりました。市史編さんの準備は、古くは1941年に始まり、66年間継続したことになります。昭和45年に臨時部局として発足し、36年間、今回廃止に至るまで多くの業績を残してまいりました。市史編さん室は確かに函館市史を編さんするのが主な目的で、年表編も含め市史が発行されてきました。
次に、議案第27号函館市史編さん審議会条例の廃止についてでございますが、昭和45年度に総務部に設置しました市史編さん室の業務が平成18年度をもって終了することに伴い、現行条例を廃止しようとするものでございます。 なお、この条例の施行期日は平成19年4月1日とするものでございます。 以上でございます。
また、総務部長は、収集した資料は、市史編さん室で目録を作成して保存している。市史編さん室を将来にわたってそのまま存続させるかどうかはまだ未定だが、今後改めて検討していきたいと答弁しております。
次は、行政資料の収集及び郷土資料の取り扱いについてのお尋ねでありますが、当市では昭和45年に市史編さん室を設置し、市史発刊のための行政資料の収集に努めてきております。一方、図書館における行政資料の収集は、市民に開かれた図書館として、利用者に各種資料や情報を提供していくことを目的としているものであり、今後とも提供のための収集に努めてまいりたいと考えております。
亡くなりましたけれども、萌寿園の吉沢さん、この方が泰東丸の引き揚げに非常に熱心に動きまして、そして当時、いわゆる泰東丸の沈んだ位置とか独自の調査をしまして、相当の資料を残しているということで、これは市史編さん室の方にたしか保存されているはずです。 それから社協に、これは50年までずっと慰霊祭を取り扱ってきましたので、その遺族の関係やら、いろいろな関係でその資料が社協にもあるはずです。
中に3点ございますが、1点目でございますが、市史発刊後の資料の保存をどう考えているかということでございますが、現時点におきましては、市史の裏づけとなる資料につきましては、市史編さん室の方で目録を作成して保管をしているところでございます。